Cocoroad -心理学の道-

Cocoroad(ココロード)では 初心者・一般の方向けのココロの雑学から公認心理師国家試験レベルまで 広く心理学について紹介します

第2回公認心理師試験(2019)問題

第2回 公認心理師試験の問題です

問1

公認心理師の業務や資格について、正しいものを1つ選べ。

①診断は公認心理師の業務に含まれる

公認心理師資格は一定年数ごとに更新する必要がある。

公認心理師の資質向上の責務について、罰則が規定されている。

公認心理師が業務を行う対象は、心理に関する支援を要する人に限定されない。

公認心理師以外でも、心理関連の専門資格を有していれば「心理師」という名称を用いることができる。

 

 

正解

④設問の通りです

 

①診断は医師の業務になるので誤りです

②更新制ではないため誤りです

③資質向上の責務は第四十三条に以下のよう定められています。

公認心理師は、国民の心の健康を取り巻く環境の変化による業務の内容の変化に適応するため、第二条各号に掲げる行為に関する知識及び技能の向上に努めなければならない。』

⑤名称の使用制限が、 公認心理師法第、四十四条に定められています。

公認心理師でない者は、公認心理師という名称を使用してはならない。前項に規定するもののほか、公認心理師でない者は、その名称中に心理師という文字を用いてはならない。』

罰則としては、二十万円以下の罰金があります。

 

認知的発達段階説の提唱者 J.Piaget

 

 

ジャン・ピアジェ( Jean Piaget)は、スイスの心理学者です。

父親は中世文献学の教授、母親はプロテスタントの信仰に厚い人物であったと言われています。

ピアジェは幼少期から生物学に興味を示し、特に軟体動物に関心があったそうです。

1907年、わずか10歳であったピアジェは白スズメの観察を論文にまとめ、「ヌーシャテル博物学雑誌」に発表しました。

ヌーシャテル自然史博物館の館長のポール・ゴデーに才能を認められ、彼の元で非常勤の助手を勤めました。その後もピアジェは雑誌に軟体動物についての論文を発表しました。19歳で、ヌーシャテル大学動物学科を卒業、理学博士号を取得しています。

次第に、ピアジェは「生物学が認識論の諸問題を解決する糸口を持っているのではないか」と考えるようになりました。

生物学と認識論を結びつける接点としての心理学に関心を移し、心理学を学びました。

ジャン・ジャック・ルソー研究所の心理学研究主任を皮切りに、ヌーシャテル大学、ジュネーヴ大学、ローザンヌ大学パリ大学で教鞭をとりました。

1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、共同研究を精力的に行いました。

ピアジェは、自身の3人の子どもを被験者にした観察・実験に基づいて、子どもの知能や思考の発達を研究しました。

 

そして、4段階からなる「認知的発達段階説」を提唱しました。

 

ピアジェの教育学―子どもの活動と教師の役割

ピアジェの教育学―子どもの活動と教師の役割

  • 作者: ジャンピアジェ,シルビアパラット=ダヤン,アナスタシアトリフォン,Jean Piaget,芳賀純,原田耕平,江森英世,能田伸彦,岡野雅雄
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1972年、エラスムス賞を受賞した。

 

思考発達段階説[編集]

 

 

 

段階

 

年齢

 

特徴

 

 

1

感覚運動段階 0~2 感覚と運動が表象を介さずに直接結び付いている時期

 

2

前操作段階 2~7 他者の視点に立って理解することができず、自己中心性の特徴を持つ。

 

3

具体的操作段階 7~12 数や量の保存概念が成立し、可逆的操作も行える。

 

4

形式的操作段階 12歳以降形式的、抽象的操作が可能になり仮説演繹的思考ができるようになる。

 

 

 この発達段階は突然変異するのではなく、徐々に変わるものである。 また「赤ちゃん返り」といった、逆戻りなんかもある。 加えて個人差も大きく、同じ子供でも分野別に早い・遅いがある。 ※そういった意味で、あくまで参考程度に留めた方が良い。

 

 また7歳は小学校入学、12歳は中学校進学の影響がある。 つまり小中学校という環境であったり、親・世間からの期待(重圧)も大きくなる。 だからこそ、この年齢での変化が大きいだけと言われている。

優性学の提唱者F.Galton

 

 

フランシス・ゴルトン(Sir Francis Galton)は、イギリスの人類学者、統計学者、探検家そして初期の遺伝学者でもあります。

「進化論」で知られるチャールズ・ダーウィンは従兄にあたります。

  

 

父は裕福な銀行家、母はチャールズ・ダーウィンの父と異母兄妹です。

ゴルトンはキングス・カレッジ・ロンドンでしばらく医学を学んだ後、ケンブリッジ大学で数を学びました。

その貢献としては、平均への「回帰」についての記述を初めて行ったことや、「相関係数」の概念の提唱があります。

 

ゴルトンは父が亡くなると遺産で世界各地を旅し、アフリカの探検記を著しました。

(ちなみに、ゴルトンのいとこのダグラス・ゴルトンはフローレンス・ナイチンゲールのいとこと結婚しており、ナイチンゲールとは親戚の関係になります。)

 

1859年にゴルトンのいとこにあたるチャールズ・ダーウィンが、『種の起源』を出版しました。

ゴルトンはこれを受け、遺伝の問題を統計学で検討しようと研究を開始しました。

 1883年に「優生学」という言葉を初めて用い、1869年には『遺伝的天才』を著し、「人の才能はほぼ遺伝によって受け継がれるものである」と主張しました。 

 

 また、指紋についての研究も行っており、指紋を利用して犯罪者の特定を行う捜査方法の確立にも貢献しました。

 

 

 

フランシス・ゴールトンの研究

フランシス・ゴールトンの研究

 

 

早発性痴呆の提唱者にして作業検査の開発者E.Kraepelin

 

 

「現代精神医学の父」とよばれるエミール・クレペリン(E.Kraepelin)は、ドイツの精神医学者です。

ライプツィヒ大学で、W・ブントに師事し、心理学の連想実験を精神医学に取り入れて研究を行いました。

また、精神病の体系的分類を行い、早発性痴呆(後の統合失調症)を提唱しました。

早期性痴呆と躁鬱病を大別し、精神病の原因は器質的なものでその経過を予測することができると考えました。

さらに、クレペリンは作業検査の開発者でもあります。

クレペリンの開発した1行の連続加算作業による作業検査を、後に日本の内田勇三郎が改良し、クレペリン精神作業検査(クレペリン検査)が発表されました。

 

 

内田クレペリン検査 完全理解マニュアル―就職適性試験

内田クレペリン検査 完全理解マニュアル―就職適性試験

 

 

ウエクスラー知能検査の開発者 Wechsler

デイヴィッド・ウェクスラー(David Wechsler)は、ルーマニアにてユダヤ系の家庭に生まれました。幼少時に一家でアメリカに渡り、心理学者となりました。

 

ウエクスラーは、1939年に精神科病院での診断目的のために、ウエクスラー・ベルビュー式知能検査を開発しました。これが、後に対象ごとに区分され、各種検査として展開していきます。

ウエクスラーは後に、児童向けウェクスラー式知能検査(WISC)、ウェクスラー成人知能検査(WAIS)、就学前ウェクスラー式知能検査(WPPSI)を開発しました。

これらの検査は、 医療・福祉・教育など幅広い分野で活用されています。 

いずれも、ビネー式知能検査とは異なり、偏差知能指数を採用していることが特徴です。

 

 

 

 

 

 

 

ビネー式知能検査の考案者A.Binet

ビネー式知能検査の考案者、アルフレッド・ビネー(A.Binet)はフランスの心理学者です。知能検査の創始者として知られています。

父親は医者であり、ビネー自身も医者になることを期待されていましたが、ビネーに解剖用の死体を触らせた事があり、それがトラウマとなって医者への道を断念したとも言われています。

ビネーは精神医学を学んでいましたが、動物心理学、異常心理学、思考心理学と次第に研究分野を広げていきました。

1905年にフランス政府の委嘱を受け、精神発達遅滞児識別のためにシモンと共同で知能検査の尺度を開発しました。

ビネー・シモン知能尺度は1908年に改訂され、精神年齢の概念が導入されました。

フェティシズム」の概念を心理学的な立場から使い始めた(当時は靴や下着に魅力を感じることを指していました)のもビネーであると言われています。

 

知能検査を開発するにあってよく協力した弟子テオドール・シモンとは1899年に出会い、1905年に共に知能検査に関する手法「ビネー・シモン知能尺度」を発表しました。

第2回公認心理士試験 問4

第2回公認心理士試験 問4より

普通教育に適する子どもとそうでない子どもを見分けるための検査法を最初に開発した人物は誰か。

①A.Binet

②D.Wechsler

③E.Kraepelin

④F.Galton

⑤J.Piaget

 

解答は①のA.Binet(ビネー)です。

「普通教育に適する子どもとそうでない子どもを見分けるための検査法」を、「知能検査」と捉えて考えます。

知能検査は、1905年にフランス政府の委託を受け、アルフレッド・ビネーとテオドール・シモンによって「知能測定尺度(ビネー・シモン法)」が作成されたのが最初です。

知的障害児を見分けるためのものでしたが、集団式検査の開発によりさまざまな分野に用途が拡大していきました。

 

【その他の選択肢】

②のD.Wechslerは、1939年に精神科病院での診断目的のために、ウエクスラー・ベルビュー式知能検査を開発した人物です。

③のE.Kraepelinは、内田クレペリン精神作業検査の改良元となった、1桁の連続加算を行う作業検査を研究した人物です。

④のF.Geltonは1869年に『天才と遺伝』を著し、優れた才能は遺伝すると優性学を提唱した人物です。

⑤のJ.Piagetは、自身の子ども3人の観察・実験から「認知的発達段階説」をまとめ、提唱した人物です。